自動化推進協会 新井民夫名誉会長からメッセージ


1998年10月

’98自動化推進展によせて

自動化推進協会会長
東京大学 工学系研究科 精密機械工学専攻
教授 新井 民夫

日刊工業新聞社と自動化推進協会との共催で、「'98自動化推進展」が開催されることとなりました。本展は、日本で唯一の「自動組立の専門展」として1982年に第1回を開催し、96年からは生産自動化全体を捉える技術展として広がり、今回で第10回目を迎えます。今回は、「生産の再構築を支える98自動化推進展」をテーマに最新の自動化機器、自動組立機、ロボット、自動化機要素を展示されることは、時代にあった自動化の姿を示すものと期待しております。

製造業の国際化が一層進み、国内製造業は高収益・高機能の企業になることを迫られています。そのためには高機能・高精度の製品を短時間で市場に送り出す能力が求められおり、市場に直結する組立工程の高性能化が最も重要です。ここ数年のマニュアル生産ライン重視の傾向は、現在、人手による作業と機械によるフレキシブルな搬送・組立を有機的に結合した新しい組立システムに結実しております。このような状況の元、自動化に関するシステムならびに要素を適確に選択できるか否かが、企業の使命をも決定付ける重みを持っております。

日本の製造業は元気です。元気の源を供給する自動化推進展の成功を祈っております。


[自動化推進’98No1.(2月号)]モノ作りにおける温故知新−これからの日本のもの作りを考える−
巧みな機構など忘れてしまえ

新井民夫

1.「忘れてしまえ」

SF作家のアイザック・アシモフは科学エッセイでも著名であった。その一つに小学校の算数の教科書を扱ったものがある。現在の小学校では昔なら高等学校で扱っていたような高度な数学まで教育している。もちろん四則演算などの基本も入っている。そうなると教科書はずっと厚くなっているはずであるが、そうはならない。そうはできないのである。では何が違ったか。昔はヤードポンド法など単位の換算に多くのページを使っていた。しかしそれは10進法の導入によって解決された。正しい方法が導入されて、換算演算なぞ不必要になったのだから、単位の換算など「忘れてしまえ」とアシモフは主張する。その通りである。不必要なら覚える必要もない。だが何が必要で、何が不必要なのかを判断するのははなかなか難しい。

今の大学生は昔より学ぶことが多い。まず境界領域の分野の重要性が増した。これは学問分野の数が増えたことになる。今まで機械力学・材料力学・流体力学・熱力学の4力学を習得することが「機械屋」であった。今では量子力学や生物の進化も知らなければいけない。加えてどの分野でも「計算機上で表現する技術」が必要となった。材料力学を使うには有限要素法(FEM)も知らねばならない。それどころか、ネットサーフィングもできなければ就職活動もままならない。しかし、時間と能力は限られている。

そこで大学でも教科書は薄くなる。例えば「生産加工」を考えてみよう。いままで工作機械の名称、材料のリストなどが並んで便覧のようであった教科書は、切削理論などのすぐには役立ちそうもない理屈に置き換わる。理論になり広く適用可能となったのだから、それで十分なのである。縦フライス盤と横フライス盤の違いなど「忘れてしまえ」である。

「自動化技術」にいたってはもっと徹底している。元々「機械化」「自動化」などという名前の学問分野は存在しない。自動化するために必要な要素を設計するか、要素を連結させてシステムを構築するだけと世の中では思われている。しかし必要なのは、「機械化」「自動化」の対象が何をしていることかを解明することにある。人間であれば上手に実行していることを解析し、本質らしき物を抽出し、そして機械上で実現する。この作業を進めるための教科書は、機構学(あるいは運動学)、動力学、制御工学、そしてシステム工学である。それに制御要素を支える電子工学、動かし方を表現するソフトウェア工学であろうか。これらは元々、十分に抽象化されている。だから実際に学問体系を現実の設計に適用するには相当の手間暇かかる。巧みな機構、単純で高効率のからくりを作ることの重要性は分かるが、個別機構にだけ通用する自動化手法を教えてもしょうがない。工学基礎があれば、応用は効く。そこで最後には「自動化なんて忘れてしまえ」となる。

2.機構の設計

図のようなピックアンドプレース機構が必要な時に、昭和40年代なら適当なカムかリンクを考えた。リンクであれば、入力角の刻み毎に先端の位置をプロットする。三角関数表と計算尺(40年代も終わりの頃には大きな電卓)で計算する。先端の動きが悪ければ、リンク長を変更する。そんなTry-and-Errorの積み重ねでなんとなくリンクの動きを習得する。計算の途中で、時々、桁を間違える。結果がおかしくなるとそれまでの計算結果をひっくり返し、間違いを発見して安心する。

これが昭和50年代からは、BASICなどの簡単なプログラムに置き換わった。プロットするのは相変わらずグラフ用紙の上に手書きではあったが、いろいろのパラメータを変化できるようになった。(勿論、プロッタも使えたし、FORTRANの大きなプログラムも一般的ではあったが、アイデアをチェックするにはBASICのようなインタープリタは革命的であった。)すると先輩たちは言ったものである。「近頃の連中は、途中結果もチェックせずに、やたら数値計算に走る。その上、有効数字のことなど頭に無い。」それでも、やはりモータは一つで、巧みな機構での動作の実現が目標であった。

『イマドキの今の若い連中』は巧みな機構など考えない。2自由度ロボットの機能限定廉価版を購入するか、1軸位置決め機構を2軸購入する。すると先輩諸兄はまた嘆く。「2軸で作るのは悪くない。しかし、その前に一工夫する余裕がほしいね!」その通りであろう。だが時代が流れれば、リンク機構など誰も設計対象としなくなっているかも知れない。そしていうのであろう、「昔はリンク機構などという面倒な機構があったな。あの頃は、ヤードポンド法などという難しい単位換算も使っていたな。計算の手間もずいぶん掛かったものだ。みな忘れてしまえて幸せなものだ。」

3.温故知新

「故 (ふる) きを温 (たず) ね、新しきを知る。」これは〈論語・為政篇〉の「古きを温め、新しきを知れば、以って師たるべし」から来ている。これを、『過去の事例を帰納的に理解し、演繹的な論理構造を構築することによって、学問体系は成立する』と理解するのは身勝手な解釈であろうか。

自動化の担当者にとって機能仕様を満足する機構を見つけ出すのは重要な仕事であった。設計の過程は探検に模することができ、達成感のあふれた仕事であった。リンク先端の動きを理解し、先人の工夫の結果に触れて、自分でも新しい機構を発見すること、それが自動化の面白さであった。まさに「温故知新」が仕事に感じられるのである。

それはそれで美しい。しかし、リンク機構もカムも忘れ去られんとするときに、古き良き機構をならべたとしてもノスタルジアでしかない。昔は面白かったでは、若い技術者は自動化の世界に入ってこないのである。ゲームソフトで目標探索を行うような面白さが必要なのである。

そこで自動化技術に関わる方々にお願いしたい。ノスタルジアで自動化を語らず、面白さを感じさせる機構を残そう。試作工場の片隅に置かれている機構試作品を見せよう。短軸2本を組み合わせてソフトでピックアンドプレース機構を作っている若い設計者も、動く巧みな機構を見ると、自分もこんなものを作ってみたいとなる。「巧みな機構など忘れてしまえ。だが、ここにそれが動いている。新しいやり方で巧みな機構を生み出せる」ことを願うものである。

以上


1994年10月

'94 自動組立推進展を開催して

自動化推進協会会長
東京大学 工学系研究科 精密機械工学専攻
教授 新井 民夫

表1:94自動組立推進展 出品会社一覧
AMICO、 池田自動機器(株)、 NTN(株)、 ケンコー(株)、 (株)三共製作所、 (株)芝浦製作所、
セイコー精機(株)、 ソニー(株)、 ダイキン工業(株)、 蝶理(株)、 (株)テスコンニッタ、 (株)マシンエンジニアリング、
(株)妙徳、 (株)モートロン、 ヤマハ発動機(株)、 吉野川電線(株)
 以上17社

1.はじめに

1994年は不況と猛暑の年であった。そんな夏もすでに遠く過ぎ去った10月17日〜20日の4日間、晴海の国際見本市会場にて、2年に1度の自動組立推進展が開催された。今年も「オートテック’94」、「’94洗浄総合展」、「コンカレントエンジニアリング94」と共に、日刊工業新聞社との共催である。「テクノろーど山形’94」と「’94職業リハビリテーション展」が同時開催された。なお、「コンカレント・エンジニアリング94」は今年から加わったラピッド・プロトタイピング関係の展示会である。

自動組立推進展の出展数は表1に示す。残念ながら今年度は大幅ダウンと言わざるを得ない。そのため、我々の展示が行われた新館でも他の館でも、通路はゆったりととれ、各コマもいつもより心なしか広く感じられるほどであった。例年、近くのホテルで開催される展示会開会式も、今年は経費節減のためか、会場入口に紅白の幕を張り、その中で行われた。通産省、科学技術庁からの来賓と出展者代表の挨拶があり、小生も自動化推進協会会長としてテープカットをした(写真1)。

私は今年度の出展者名簿の巻頭に次のように書いた。

「本展示会が自動化技術者のための技術の集大成であると同時に、これから自動化を推進しようとする者にとって、情報収集の場として重要であることは、過去の実績からも明らかです。
ここ10年、消費者の嗜好の多様化と製品のライフサイクルの短期化に伴い、生産形態は少品種大量生産から多品種少量生産、さらには多品種変量生産へと移行し、自動化に使われる技術体系も、メカ一辺倒の方法論からメカトロニクスに代表される複合技術に移ってきました。その結果、ソフトの重要性がますます増大しています。
いつの時代にも、製品仕様変更に最も影響を受けやすい組立工程はこれらの技術変更を常に受入れていかねばならない宿命を背負っていると言えますから、加工工程の自動化以上に、汎用性(フレキシビリティ)、器用性(デキシテリティ)が求められています。
ここ数年、不況の影響は設備投資に大きく現れました。しかし、これからの2年間はたかい技術を効率的に使う設備の導入期に入ります。
今こそ広く技術をつまかえる時です。
技術を究める者がこれからの産業で生残るのです。自動組立推進展が組立システムの技術を究めるための場となることを期待しております。」

これはまさに本音である。不況の時こそ、技術を磨き、将来に備える時間なのである。私の研究室には25人ほどの学生がいるが、大学4年生をはじめとして、大半は研究の素人である。産業現場での実際的問題も知らなければ、発表技術もない。その連中に世界最先端の研究をさせるためには何が必要かと考えると、最先端の技術を見せることしかない。そのため、論文を多数読ませたり、国内外の会議に積極的に出席させたりする。会議参加には費用が掛かる。この11月に九州大学で開催された日本ロボット学会の学術講演会には研究室から13名を送った。まだ良く分りもしない学生を研究費で送出すのは馬鹿らしいと思いもするが、それが長期的に効果を上げるのである。

同じことが企業にも言える。若い社員、それも何の技術が必要なのか分っていない社員に内容ある開発や設計をさせるには、良い技術を見せることである。それも最先端の技術を分りやすく展示した機会を利用することである。この不況の時こそ、若い社員を展示会に送り出して欲しいと願っている。

さて、自動化推進協会としての活動を以下、述べておこう。

2.自動化推進協会事務局

事務局は毎回、ささやかな展示を行い、自動化推進協会のPRを行っている。今回も晴海新館の入口の左奥にパーツフィーダ工業会と並んで、事務局を設置した。中山事務局長と泉さんに詰めて頂いた。来場者に当会の活動を知っていただくための写真パネルを掲げ、講座、見学会の内容を案内した。また、より広く協会を利用してもらうために、協会紹介案内、入会案内、そして第9回自動化設計コンテストなどを配付した。また、これも例年の如く、「自動化サロン」と称して自動化技術に関する相談コーナを設け、当協会員の技術士の方々などにご担当頂いた。詳しくは本誌別記事を参照されたい。

中山事務局長によれば、展示場に立つと、当協会の存在すら知らない方々がまだ多数居るという事実を痛感するとのことである。私も協会の宣伝を様々な機会に努めているが、やはり同じ思いをしている。自動組立推進展の開催も通算8回になるというのに、自動化関係者への知名度がまだ低いというのは真に残念である。展示会での広報活動は大きな成果を得られたと思うが、今後は地方での同種の展示会にも、広報活動用の事務局を開設して、会員の勧誘をすることが、事業の一環として考えられても良いのではないかと考える。

3.展示会の方向について

今回の展示会では、技術的には特に目新しさは感じられなかったといっても過言ではない。しかし、たとえばスカラ型ロボット1台の価格が100万円を十分に下回っているなど、コストパーフォーマンスは大幅に向上している。ヤマハ発動機やセイコー精機のロボット展示が場所的にも目立った。全体にしっかりとして技術を目指しているとの感想である。「コンカレントエンジニアリング94」は光造形法などの高速成型技術とその元となるCAD技術を展示していて、新しさを感じさせた。その中に、Prof. Boothroydeの会社が作った組立性評価によるDesign for assemblyのソフトウェアが販売されていたのが一つ目についた。

長く見る時間もなかったので、技術の動向はこの程度にさせていただこう。

筆者は出展依頼側代表として、コマを尋ね、責任者の方々に挨拶して回った。前回に次いで2度目である。皆さん、不況の影響を話された。回って感ずることの一つに、このような不況になればこそ、日頃、技術を大事にし、誠意ある営業を続けていた会社が不況でも頑張れるのだいう事実である。不況になれば、安い商品が売れるのかというと、そうではない。本当に設備投資が冷え切っている時には安くても売れない。少し、不況から脱出しそうになって、試しに設備投資しようとなると、安価であることが大事になるらしい。価格を下げることは長期的な要請であって、今だけの無理では続かないのである。そんなことを十分に感じさせる展示会であった。

4.おわりに

今年度の反省を、いくつか述べておこう。

未だ設備投資が復活していない現在、多数の会社に出品願うのは難しいにしても、常連が参加できないのは真に寂しい。協会としても、どのような方法を準備すれば、会員各位が簡単に出展できるかを初心に立返って、検討すべき時代に入っていると思われる。

来年からオートテックが春開催となり、秋は2年に一度のロボット展やその他の展示会と一緒になる。いままで同業が多数集ったのに対して、今度は異業種の集りとなるので、その中で、自動組立推進展を明確に打出して行きたい。

今一度申上げたい。「良い技術を見ることが若い技術者の技術を高める」と。


1992年8月

20周年を迎えて

会長 新井 民夫

『20周年おめでとうございます。』会長の職にあるものが祝詞を述べるのはおかしいかもしれない。にもかかわらず、このように書き始めるのには理由がある。20年間、自動化推進協会のような任意団体が続いて存在できたことは、とにかく目出度い事である。本会会員はは日本の自動化技術の発展を支え、普及させて来た。まさに歴史を担ってきたと自負できることはすばらしい。これもひとえに会員各位の御支援の賜物と紙面を借りて感謝する。

今年は日本産業用ロボット工業会も20周年を迎えた。日本ロボット学会も10周年である。私事ではあるが、我が家も結婚20周年である。まさに区切りの時期を迎えている。この20年を振返ってみると、本会も他の会も、そして我が家でさえも拡大の歴史である。「僥倖にすぎない、日本の産業界全体が拡大を続けて来たのだからその分だけ大きくなって当然だ」という指摘もある。しかし、産業界の発展の方向を見据えて、自動化の分野を広げてきた先人の努力は多大だと思う。

副会長の須田氏が日々口にするように、『継続は力なり』である。歴史を持つ者は強い。しかし、これからの20年を臨む時、この歴史をどのように使うかで、本会は良くも悪くもなるのであろうと思われる。本会が発足した当時は、全員が新会員であった。自動化技術者はすべて開拓者であった。皆、自分の分野で一山当てようと必死であった。今やその新人達は先達(せんだつ)となのである。10歳若い人との間には必ずジェネレーション・ギャップが存在すると言われる。20周年を迎えたいま、新人と先達には2つのギャップが存在するのである。先達には若手の養成に必死になって頂く時期であろう。そして、若い会員には、新しい山を当てようと必死になって頂きたいのである。

自動化推進協会のこれからの20年を思い、小生も本会発展の一助になれることを願うばかりである。今後とも御指導御鞭撻を重ねて願う次第である。


1992年8月

海外技術視察団(20周年に思う、1会員の思い出)

会長 新井 民夫

20年前、小生はまだ大学院生であった。丸棒丸穴の挿入過程の解析を進めていた小生にとって、精機学会(現精密工学会)の自動組立専門委員会は先輩諸兄が集る怖い場所であった。まして、自動化機器設計の神様達が集る自動化推進協会は近寄るのも恐ろしいといった会であった。大学に職を得て自動化やロボットの研究をしても、自動機械一つ設計したことのない1研究者にとって本会が遠い存在だったことも事実である。それが何の因果か理事の末席に名を連ね、時には怖い諸先輩と海外旅行に出かけたり、国内見学旅行の懇親会で馬鹿話などをするころにはなんとか本会に慣れてきた。ある日突然、前会長牧野洋先生から「会長を務めよ」との御命令があり、辞退はしたのだが、先生が御多忙との事から止むえずお引受けしたのが4年前である。全く振返ればあっと言う間の20年である。

この20年を振返ると、本会主催の海外調査団がいつも話題に登場する。

’83のICAAとISIR参加のヨーロッパ2週間は独・伊・仏と回った。途中、ニースでは西浜氏(ダイキン)と小生だけがプライベート・ビーチで遊んでいたと今でも言われる。今だから書けるが、パリではバーでボラれる事件も有った。

’85には松元氏(東洋大)と小生とでコーディネータとなり、英・仏を回った。早朝到着の北周り便でロンドンに入ると、9時から工場見学、Oxford市内をバスで回って、午後も自動車工場見学、Birminghamへの道すがら Stratford-upon-Avon でも Shakespeare の生家を見ていくという強行群であった。ホテルについた時には流石、全員疲れ果て、泥のように眠り果てた。翌朝からはICAAが始ったが、4泊同じホテルで余裕のある生活なので自分のペースで英国での生活を楽しむことが出来た。実は時差ボケ防止に意図した計画であった。

1昨年’90年11月には何と総勢47名で米国を2週間回った。この時の旅行のコンセプトは「米国の東部・中部・西部の違いを知る」であり、Detroit, New York, Washington DC, San Francisco それぞれの周辺で工場見学をし、広いアメリカの理解に努めた。もう一つのコンセプトは「ホテルを楽しむ」であり、飛行機の費用を押えてその分を宿泊費用に回し、ホテルにも変化を持たせた。郊外の伝統的な舘、都市の雑踏の中のホテル、綺麗な町並みに映える豪華なホテル、ゴルフ場が付いたコテッジと様々な宿を選んだ。参加者からは好評であった。

自動化推進協会が企画する技術視察団の目的は勿論、海外の技術を見て回る事である。だが、同時にそれらの技術の背景にある人々の暮し方、考え方を知らねばならない。一度に沢山のことでは消化出来なくなるなら、初めから比較しやすい形に計画するのも一案であろう。

これからも楽しい視察団を派遣したいものである。