温故知新 自動化アーカイブス 第9回

設計室 設計室余談 “機械設計者の育成”

(自動化推進85−5) 西郷 達治

 若手の機械設計者をどう教育したら早く一人前になるか。また、若手にとってはどんな勉強をしたら早く一人前になれるか、本誌を読まれている皆さんも必ず過去に一度や二度は、お考えになった経験をお持ちだと思います。

 今回、この問題について書いてみたいと思いますが、たいした結論はありませんので、終りまで読まれた人ががっかりしないよう、最初にお断りしておきます。

 設計者が早く育つかどうかを考えてみると、設計センスという訳のわからない言葉が浮んでくる。 「こいつはセンスが良いから早く育つよ。」とか「センスが悪いから教育しても無駄だよ。」とかいうあのセンスである。

 設計センスとは一体何だろう。生まれ持ったものだろうか。先天性のものならばこの話は終ったようなものであるが、私の体験から、設計センスは教育次第で変わるものだと確信している。

 設計経験3年の若手設計者が、4年目の1年間で素晴らしい図面を書くように成長した。彼のセンスは、それ以前とても感心できる代物ではなかったのに1年間でがらっと変身したのである。

 この事実は私に、設計センスは後天的に変わり得るものであり、早く一人前にするには教育が大事であるということを認識させてくれた。と同時に、先輩として、後輩を育てるためにはどうしたらよいかを、真剣に考え始めるきっかけにもなったのである。

 では元へ戻って、設計センスが簡単に変わるものであるとしたら一体何だろう。

 機械の設計は、力学の積み重ねであるところが多いから、力学や数学が解ける力、すなわち、学問、知識なのか………全く関係ないとは思わないが、これは経験的に違う。

 では現状否定で新しいものをどんどん取り入れ、画一的なものが嫌いな考えから生まれるのか………これも違う。

 沈着冷静でじっくり考えこつこつやる者が身につくのか………こんなふうに考えても頭が混乱するだけで、決定的なものは何もでてこない。

 ではちょっと考えかたを変えて、センスの悪い設計とはどういうことだろうか。

 一般的には、設計上の理念や方針がふらついて、企画のイメージと違ったちぐはぐな設計といえるが、ここでは若手設計者ということで、 1.アイディアが不十分で、思いつきのままの設計をする。 2.力学的にみて考慮不足で、バランスの悪い設計をする。 3.製造上での配慮が不十分で、コスト無関係の設計をする。 4.ユーザ要求の把握が不十分で、使い勝手の悪い設計をする。 等々、さまざまな問題含みの設計といえる。

 これらのことはベテランに言わせると、当然十分に検討しなけjLばならないことなので、若手の設計は検討不足ということになる。では設計時間を十分に与えてないのかということ必ずしもそうではなく、与えられた時間の大半を無駄な検討についやしているのである。碁や将棋で言う「へボの考え休みに似たり」であり、スジ違いを検討していて、簡単な肝心なところが検討不足になるのである。

 碁の高段者は一瞬の間に何十手、何百手と先を読むという。多分高段者は何百手も全て確認している訳ではないだろう。悪手を瞬間的に排除し、本手をみつけだすまでのことをいっており、本手の読みと確認には時間をかけるのだと思う。おそらく初級者との違いは、数多い手の中から本手スジを見つけるのがすごく早いのだと思う。

 機械の設計のそれも相通じるものがある。

 設計センスというのは多分こんなものと思う。つまり、いかに幅広い数多くの方法から本手スジを絞って検討を加えられるかである。

 前述の変身の例では、彼は本手スジを見つける何かを会得したのであろう。この中には2つのポイントがあって、(1)如何に幅広い数多くの方法の中から絞ったか、(2)どうやって本手スジをみつけたか、である。

 ベテランの若手指導の話を聞いていると、過去の図面での話が多い。このメカニズムは、過去○○という機械で、こういうところに問題を起したとか、うまくいったとか、過去機の例を引きだして説明している。

 本誌に連載されている“なるほど事例集”の個人体験版を頭の中に持っているのである。それらを直接または組合せて失敗事例にしたり、アイディアにするのである。  ある本に、創造力とは「過去の経験、知識を解体、結合することによって新しい効用をもったものを創りだすことである」と書いてあったが、この経験、知識というものは、その組合せでどんどん増えるということである。

 また、ベテランの彼らの頭には碁でいう定石みたいなバターンが、この体験の組合せをもとにいつしか作られているのであり、瞬時に最善をみつけることができるのである。

 また、別の例では私の先輩でいまは設計の現役ではないが、社内で開発し、使用している設備(500−600種)のほとんどをこと細かに知っている人がいる。当然ではあるが彼は素晴らしい設計をした。彼は設計する際に、沢山の過去の図面を引張りだしてきたり実物を見たりいろいろなチャンスを自から作り、積極的に調べたそうである。

 つまり若手設計者に何が不足しているかというと、あたりまえであるが経験がたりないのである。もし、若手設計者が社内の主要設備の数百種でも中味を細かに知っていたとしたら、多分その時点では一人前の設計者であろう。つまりその組合せで幅広い方法の中での検討もできるし、失敗、成功の事例から定石のようなパターンも増えるだろう。

 設計者というのは、頭で考えたことを人に伝えたり具現化するのに図面(製図)の手法を用いるので、図面のみかた、書きかたから勉強する訳であるが、その延長での我々の教育は日本の英語教育に似たところがある。知識の詰め込みが中心でそれが早道だと思ってきたところに少しまちがいがあるのではないかと思う。もちろん、知識が不必要だとは言わないが、もっと自身の経験にするよう体で覚える教育にすることである。

 「百聞は一見にしかず」ではないが、聞くよりは見る、見るよりは体験してみることがよい成果をあげる近道だと思う。

 たとえば、社内開発設備であれば見るだけでなく、図面を引張りだしてきてメイン部分を自分で書いてみるとか、もっと突込んだ勉強が必要だと思う。幸い社内設備ではさまざまな不具合をリファインした経歴なども残っているので、絶好の教材である。

 「若手はどんどん図面を書きなさい。その中で先輩たちが書いた図面や、機械をいっぱい参考にして経験の幅を広げ知識を深くしよう。」というような、管理者の自分にとっては都合のよい勝手な結論をつけて、今日も、「時間をおしんでどんどん設計をしろ。自分自身のためだぞ。」とか言いながらにやにやしているところである。

 ただ、管理者としてそれなりのことをしなければならないと思い、いくつかやっていることがある。
1.最低、覚えて欲しい設備のリストアップ
2.ベテラン設計者自身の成功、失敗例を図面を広げて勉強会を行なう。
3.設計の勉強という目的で、関連工場を含めた各種の工場見学。
等の機会を与えて、経験、知識の個人別マップを作り、それをぬりつぶしながら、若手の成長を楽しみにしている次第である。

 また、機会があれば、数年後にはこの結果を報告できると思います。

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