組立研究の40年を振り返って

東京大学  新井 民夫(自動化推進協会名誉会長)

私が組立の研究を始めたのは1970年、修士課程に入った時である。指導教官の木下夏夫先生から「組立分野の科学的解析が遅れている、まず、最も簡単な丸棒丸穴の組付作業を解析せよ」との指令を受けた。何をどうするのか分からないままに、縦フライス盤に丸棒を固定し、八角応力リングが4つついた動力計上に丸穴の開いた板をおいて、挿入時に発生する力を測定した。その解析と設計方針の策定で工学博士を取得した。

博士課程を出てからであろうか、自動化推進協会に加わった。何しろ怖い先輩ばかりである。大学で教授に昇進すると、会長牧野先生から「新井君、会長を担当しなさい」とのご下命があった。「無理です。まだ若造です。」と断ったが、「僕は君の年齢でこの会を立ち上げたのだよ。」と説得され、引き受け、1988〜1999年の11年間を担当した。 1990年代に入ると、バブルがはじけたことから製造業全体の生産量が減少し、消費者の嗜好の多様化から、セル生産が導入されるようになった。私を含めて多くの自動組立の研究者たちは、TaylorのTime-Studyの信奉者であるから、セル生産のような作業者の多能化は問題が多いはずだと考えたが、実際には上手く行く。作業者の間違いが増えるはずだ、1回目の組立作業には時間がかかるはずだなどの特性は確かに観測できるのだが、生産に影響するほどではない。今までの自動化研究は何であったのかと悩んだ。

それならば、徹底的に知的な組立システムを研究しようとHolonic Manufacturing Systemという自律分散システムの研究に参加した。加工要素、組立要素、フィクスチャリング要素、搬送要素などを要求に応じてつなぎ直すシステムである。組立では移動台車搭載の組立ロボットが組立台に結合・離脱しても常に最適の組立ができる構成を作った。概念的には先進的でも、コスト面、ソフトウェアの開発の薄さなどから、実際には使われない。それは分かっていたが、研究者としては究極の生産システムとしての姿を描けたと思う。Reconfigurabilityの事例を示し、Plug & Produceを検証した。HMSは約10年続いたので、その最終年には縦書きの本を出版することで研究者の心意気を世の中に示した。

2000年代に入ると、韓国、台湾が強くなり、BRICSの追い上げが顕著となった。大量生産用の組立システムは食品、電子部品では当然のごとく使われ続けた。一方、国内では自動化技術の進歩は停滞しているように見える。そこで、ロボットの基本技術開発として、ワイヤハーネスや布類のハンドリングとセル生産システムの高度化に目標を設定し、私も人間・ロボット協調セル生産組立システムの開発を行った。このような技術が日本の製造業競争力の保持に役立つことを願うばかりである。

今や、組立自動化の経験者は生産の一線から退いている。私もこの3月で大学を退職する。自動化は作業の本質を見抜かないとうまくいかない。組立のように人間にもでき、かつ、人間が工夫している作業であればこそ、その本質を見抜く力が求められる。ロボット研究の場でも昨年からマニピュレーションの研究が再度増えている。実作業が出来なければ、ロボットは単なる展示品でしかないというのが私の経験が教えるところである。