ビジネスモデルの提案を!

安藤技術士事務所 所長
安藤 黎二郎

 30年前? 1970年代の初頃までは、“自動化は善”との理念から無人での大量生産が人類のため、日本のためになるとのいわば単純思考でまず間違いはなかった。70年代にはパラダイムが変わったといわれ、このままでは細分化した顧客の要求に応えられなくなり、多様性を組込み経済的な生産ラインの構築が新たな課題となった。ロボットや視覚センサなどを組込んだ自動化システムが提案されたが、大量生産を第一目的にしていることに変わりはなかったと思う。その視点に立つ限り自動化投資よりも、賃金が日本の1/100、1/200といわれる中国生産を選択するだろう。そこでの効率を追求すれば製造技術力・製品開発力を移植定着させることになり、中国市場と発展力の魅力もあって、製造システム全体を中国にシフトする企業が相次ぎ、製造業の空洞化が懸念されるに至っている。しかしこれは、滔々たる歴史の流れの中での1例に過ぎないと理解するべきであろう。

 米国を10年遅れで追いかけているといわれた我国の産業界も、1980年代に至って追い越せた! と自信をもった時期があった。これが米国産業界の構造変化、製造業の衰退、3次産業へ雇用の急激なシフト時期と一致したこともあり、日本もその道を進むべきといわれ、製造業は“過去の産業”のごとき単純思考の評論が横行した。

 その頃、米国を度々訪問したが、当時の日本での評論とは異なり、米国の製造業が力をつけて来ていることをひしひしと感じた。会社への営業訪問、Conferenceなどから感じたのは、生産技術の理論・実施面での研究とシステム的な思考を採用した革新的な生産方式が提案されていることである。時を同じくして80年代の終わり、EMSという新しいビジネスモデルの企業が、主として電気・電子業界で活躍している事を知った。だが日本の基板組立専門業者の方が、技術力、生産の柔軟性とも絶対優位との見方であっしかし、その後のEMSは、部品調達・工程設計・製品配送を含めた組立工程を受注することで、規模を拡大した。製造工程を自動化・効率化するだけでなく、部品メーカへの交渉力を強くして、コストと受注量の短期間での急増・急減も優位を保つことになった。そして吸収・買収・合併を重ね、電機業界に留まらず活動の範囲を拡大した。そして遂に日本にも進出して電機業界の製造子会社を買収する時代になった。日本が最も得意としてきた筈の製造の現場でもEMSというビジネスモデルには追従せざるを得なくなったとも言える。

 EMSのような仕組み、ビジネスモデルの発想が、現場も含めた製造技術に自信がある筈の日本でなぜ出なかったのか、残念なことである。今後の世界の産業界のものづくりへの貢献が日本の役割とするなら、個々の生産技術のレベルを上げてゆくだけでは不十分で、新しいビジネスモデルを提案してゆく、さらに進んでパラダイムを変えるような技術の提示を世界に発信したいものである。