使い捨て時代に生きる

福井大学工学部機械工学科
自動化推進協会 理事
古村 義彰

 20世紀から21世紀に、わたりましておめでとうございます。 そして私は、1941年1月1日というお目出度い元旦生まれである。別に生年月日を強調したかったわけではなく,第2次世界大戦の真珠湾攻撃の年に生まれたと言いたかったのである。

 生まれた頃は、生活物資が手に入らないというほどではなかったらしい。しかし、幼少の頃から父親が出征しており、終戦後もロシアに抑留されていたから,母親一人で我々子供を育ててくれていた。小学四年生の頃に,父親は捕虜生活を終えて帰国してくれはしたものの、体を痛めており、療養生活を余儀なくさせられるような状態で、生活は大変苦しかったようである。このような生活だったので,私は親から物をあまり買ってもらった覚えがなく、いつも何か手作りのおもちゃで遊んでいたものである。この頃から、どうも自分でこつこつと物を作りだす楽しさを覚えたようである。

 また、世の中全体を見ても、私の小・中学校時代の生活程度は大変慎ましいものであった。たとえば小学校の習字の時間には、古新聞紙と半紙を何枚か持っていき、新聞紙の上に何回も練習をして、ある程度上手になってから白い半紙の上に清書をするというような授業であった。このような不自由さとか不満がある生活があって、初めて工夫するという前向きの発想が生まれ、今のように満ち足りた生活からはすばらしい発明発見というのは生まれにくいと思っている。

 このような生活習慣が身についている私にとって、最近ちょっと見直されているようではあるが、使い捨てというのはどうも受け入れがたいものがある。

 私は、大学の機械工学科を出たけれど、電気工学への興味も捨てきれず、就職先として電気会社を選んでしまった。事情があって私は郷里の大学に戻り、再就職をして機械工学科の教員として納まっている。したがって家電製品などのハードもソフトも何とかわかるし、情報を集めることも出来る環境にいる。

 このような経歴の生活環境に育っているため、すべての品物を壊れたから捨ててしまうという事になじめないでいる。何とか直らないかという見方と、どのような構造になっているか知りたいという性格から、とにかくバラしてみるということをやってみている。これが割合と器用さもあってか修理できてしまい、買い換えしなくて済んでしまうことが多いようである。しかし、逆に壊さなくてもよいものまで分解している内に、モトに戻せないようになってしまうことも多くある。

 しかし、このように分解してみることによって、新しい知見を身につけることも多々ある。製品の中には非常に面白い機構などが隠れており、本で読むよりはるかに納得できることが多い。したがって、直らなくても分解することの面白さが身についてしまった。家の中では、新しい製品を買ってもらえないという不満がくすぶっているようである。実際直っても又壊れるということもあるので、損得だけで判断すると必ずしも得にはなっていないのかもしれない。しかし壊れたもの、または壊れていないものまで分解したいという解明欲はいまだ衰えず、家族からは迷惑がられてたり、喜ばれたリの生活をしている。

 これらの新しい知見は、自動化機構の中に採りいれられる面白い機構が多く含まれている。若い人たちにもこういう経験をすすめたいと思うが、いかがであろうか?大量生産・大量消費による好況と、環境対策と節約による不況の狭間で、どう生活すべきか惑いの中で生活をしている。