技術屋の夢

有限会社サードテクノ
自動化推進協会理事
佐渡友 茂

 私にも技術屋という名前の職人として、どんな課題であろうと出来ないとは言いたくない、あるいは職人は結果がすベて、言い訳よりは仕事で答えをという、少しばかりですが意地を伴った誇りがあるようです。

 一方で、仕事を通じて、技術者、研究者あるいは経営者、多くの優れた方と知り合う機会を得、それらの方々からは、技術そのものに価値があるのではなく、技術を通じて実現しようとしている目的に価値があるのだということを教えていただきました。また、技術の歴史を遡ることにより、先人が夢と想像を巡らして現在の技術を確立していったことに感動し、今の私たちの技術はこれら先人の恩恵の上に築かれていることを知りました。そして彼らの技術を受け継ぎ、次代に継承して行くことも自分の役割のひとつだと思うようになりました

 もうすぐ21世紀です。日本で高度成長が始まった頃、私は小学生でした。当時、テレビや電気洗濯機は新しい生活のシンボルであり、これらを手に入れることは暮らしが豊かになることでした。小学生にとっての21世紀とは遠い未来、宇宙ステーションが地球を回り、学枚の宿題に電子計算機を使い、テレビ電話で世界中と話が出来‥‥。当時は技術が夢を実現し、生活を豊かに出来ると信じられた。決して豊かではなかったけれど、それ故に技術の目的が明確な時代でした。

 そんな時代の中で、工作好きの科学少年は躊躇うことなく技術者の道を選びました。その後、テレビや洗濯機は各家庭に行き渡りました。当時は夢のような存在であった技術も、気がつけば身近な存在になっています。今、ものが溢れています。私たちはものを手に入れることで幸せになったのでしょうか。現代の多くの製品は構造の見直しを行い、素材を変え、一体化 し…、その結果、修理が出来ない商品、あるいは修理するより新商品を買う方が安い商品もあります。安価な商品は消費拡大と引き換えに、消費者に製品を持つ喜びと愛着を失わせ、逆にもの離れを加速してしまったのではないでしょうか。

 ものづくりに携わる者にとって製品が捨てられるのを見ることは悲しいことです。人は時間のフィルタを透して昔は良かったと考えがちです。ものが大切にされていた頃の時計、カメラ、自動車、ブリキのおもちゃ。

 でも、10年前のパソコンでは今の仕事には使えませんし、設備が壊れたからといって数十年前のモータを巻き直して使い続けることが正しいことかは疑問です。また、ものがなかった時代、皆がそんなに幸せだったのでしょうか。

 私は現代の若者がナイーブで、ボランティア活動などに素直に参加できることを眩しく感じます。「衣食足りて礼節を知る」ということわざがあります。今やっと私たちはこの状態に近づいたように思います。私たちはものを手に入れることで豊かになれた時代から、さらに次のステップに移るために新しい価値観を模索しているように感じます。一見もの離れにみえる現状は、実は私たちが製品を通じて、使う方へどんなメッセージを伝えられるかを問われているのではないでしょうか。

 幸い、日本には優れた技術の蓄積があります。これらの技術が新しい価値観の基で有効活用され、「明日は今日より明るい」と信じられるようになれれば素晴らしいことです。試行錯誤は続くと思いますが、私も新しい流れに積極的に参加してみたいと思っています。